高砂周辺の暗渠をたどる②

大震災以後、ようやく更新できるようになりました。
発生直後はさすがに気分的にも更新する気にはなれませんでしたし、自粛する意味でも更新を控えていましたが、やがて仕事の方が猛烈に忙しくなり、更新のための時間が取れなくなってしまいました。

震災後の初めての月曜日には、電車が動かないので出社を諦めていたところ、夕方頃「どうしても出てこい」ということになり、出社を諦めることを諦めざるを得なくなってしまいました。
ということで、自転車で3時間かけて電車の動いている「最寄り駅」まで向かったのでした。
結局、夕方4時半に出発して、夜10時に出社。そのまま泊まり込むことになりました。

まあ、この程度の苦労は被災者の方々に比べれば苦労のうちには入りませんね。
被災者の方々には心からお見舞い申し上げます。

今回は、高砂周辺の暗渠の2回目です。
訪問日:2011/1/30

さて、途中をかなり飛ばして、貨物線を横切るところ。
新宿(にいじゅく)4-16あたり。
線路の下をくぐる暗渠。
ここは通れないので、反対側にぐるっと回ってみると、
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同じような景色です。
この周辺はもう暗渠らしさがあまりないのですが、この線路の下だけが川跡らしさを強くとどめています。
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次は、少しだけルートを戻って、右にそれて進んだところ。
広い道が急に川跡になっていくという印象的なポイント。
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ここから未舗装かつ未利用のスペースとなっていきます。
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だんだん太いスペースに。
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ここではかなり広くなりました。
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この道は川跡を横切っていますが、橋な感じはしません。
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ちなみに、暗渠の右側はなぜかこんなに道路より高くなっていました。
理由は不明です。
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さて、その先は貨物線の線路を越えていきます。
「三重田(みえだ)街道踏切」。
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少し先で、この未利用地暗渠は終わっています。
これは振り返って撮ったところ。
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その先はだだっ広い道路が再開していました。
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少し先へ進むと、右側に団地の案内図がありました。
「現在位置」とある場所の後ろはもろ水路として書いてあります。
今歩いてきた道ですよ。
いつ作った案内図なのでしょうか。
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そして、そのすぐ先がこの交差点。
「大堰枠(おおせきわく)交差点」。
今回のクライマックスです。
・・・と言っても、何がすごいのか分かりませんね。
ここは現在は六差路の交差点になっており、ちょっといびつな感じはしますが、何ということはない交差点です。
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これはgooの現在の地図です。
真東に出ている細い道を含めて六差路となっていますが・・・
勘の鋭い方はもうお気づきでしょうか。
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これは同じ場所の昭和22年の航空写真。
現在の六差路を構成する道路のすべてが水路でした。
つまり、「川の六差路」!
上3本が上流方向、下3本が下流方向なのでしょう。
いやいや、すごいスポットがあったものです。
・・・しかし、話はこれで終わりません。
次の写真でもう一回驚いていただきます。
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これは、知人のK君が葛飾区中央図書館で借りてきてくれた、明治時代の葛飾区の地図。
パウチしてあったので、写真が少し光っちゃってますが。
あと、明治何年の地図だったか、控えておくのを忘れました。

さて、大堰枠の周辺。
点線は町の境界線なので関係ありませんが、右上から左下へと続いているように見えるラインも水路だと思われます。
つまり、上の航空写真よりも、右上の一本分多い「川の七差路」となっています!
ちょっとすごくないですか?これ。
もっとも、一部は立体交差していて交わってはいなかった、という可能性もあるとは思いますが。
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さて、現場の様子を見ていきましょう。
これは、地図の左上から来る水路跡。
歩道のところが暗渠っぽい。
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これは地図の右から来る水路跡。
車止めもあって、明らかな暗渠。
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これは、地図の右下へ抜けていく水路跡。
写真右へ続く道路は、今回たどってきたルートです。
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これは左横へ進む水路跡。
左のガードレールが暗渠のようで、少し先で道から離れていきます。

なお、地図の右上から来る水路は、痕跡を見つけることはできませんでした。
今は完全に住宅地の中に埋没してしまっているようです。
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これら7本の水路跡のうち、名前が確認できるのはこのルート。
右上から左下へと続く「上下之割用水(かみしものわりようすい)」。
そして、おそらく交差点の下流側に堰が設けられて、右下の「小岩用水(こいわようすい)」に分水されていたのでしょう。
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いやー、面白かったですね。大堰枠。

あとはおまけみたいな感じになってしまいますが、小岩用水を下っていくと、ちょっと珍しいコンクリ蓋が見られましたので紹介します。
ここは、小岩用水が京成金町線を越えるところ。
越えた先からコンクリート蓋となっています。
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反対側に回ってみました。
線路を越えるといきなりコンクリ蓋が始まっています。
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しかも幅がめちゃめちゃ広い。
この広さのコンクリ蓋は少ないでしょう。
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サイド面を見ると、コンクリ蓋によくある穴が開いていますが、穴の数が多いのが特徴的。
コンクリ蓋にも地域の特徴が出ますね。
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これは、2つのコンクリ蓋をまたぐマンホール。
真ん中にある「カ」のマークは、葛飾区のロゴ。
「カ」が「四角」なので「カシカク」。
「ツ」が抜けてるけど、気にしないのでしょう。
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先へ進むと、また変な感じのルート。
両側に車道を従えて、暗渠そのものも広いので、ものすごく広い道となっています。
やっぱり空が広い。
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先へ進むと、左の車道がもっと広くなりました。
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ここは橋の欄干の跡。
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横から見ると、ちょっと外側へ傾いて造られています。
「桜二橋(さくらにはし)」。
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もう少し先へ行ったここで、この印象的なコンクリ蓋暗渠は終わりとなります。
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さらにずーっと先へ行って、京成本線を越えたところにある案内板。
「小岩用水の沿革」。
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ちょっと引いてみると、こんなオブジェもありました。
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今回は、いつもと違って面白そうな所だけをピックアップしてご紹介しました。
下町にもまだまだ面白い所がありそうです。
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by ankyo-nekomatagi | 2011-03-25 19:23 | 江戸川区・葛飾区の暗渠 | Comments(22)  

Commented by nama at 2011-04-01 19:39 x
これが噂の6差路!水路パラダイスですねぇ。
個人的には、その大勢の中でも、東からカクっとしながらやってくる細い水路ちゃんが好みです。
Commented by 猫またぎ at 2011-04-01 20:06 x
いや、ですから「7」差路ですってばw
「東からカクっ」と来るのが私も一番好きです。
今度訪問する時は、そちらもたどってみたいですね。
Commented by 摂田 寛二 at 2012-12-18 05:19 x
My Dearest 猫またぎさん,
 これって「八叉路」ではないのですか? 入口と出口があるから,本数は偶数になりませんか(数学者だから,変なところに文句を付けます)。
 お久しぶりです。世の中には珍しいものがあるものですね。私も観てみたくなりました。
 でも,中川から東となると,私の自転車行脚では2日がかりになりますからね。
 実は,12月の初めに田端の操車場内の踏切で転倒し,血だらけになって救急車で運ばれました。幸い怪我は軽かったのですが,額に傷が残りました。音無川探訪の下見に出かけた時のことです。やはり,歳はとりたくないものです。
 で,方角が悪そうなので,王子へ行くのは断念。やはり,葛飾区かなと,思っています。
 世の中何があるかわからないので,あなたもぜひ気を付けてください。
 昨日久しぶりで,堀切に行ったら,木立がすっかり冬景色になっていました。
 来年に期すべしでしょうかね。
On December 18, 2012  摂田 寛二拝
  http://KanjiSetsuda.la.coocan.jp/
Commented by 摂田 寛二 at 2012-12-18 05:37 x
追伸:
 最新のアップロードで,古隅田川と足立区柳原の古川を採り上げましたが,その時に気になったのが,亀有から綾瀬にかけての微高地では,「北が上流,南が下流」という関東地方の「常識」が通用しないということでした。
 そこで,地形情報をさがしてネットサーフィンしたところ,次のような計測地図の存在を知りました。貴方は,既に御存知かもしれませんが,おついでの折に御覧ください。
 http://www.gsi.go.jp/common/000061812.jpg
 この地図を見て,わかったこと。私は,どうも「ゼロメートル地帯」が好きみたい。
 何で葛飾区に掘割が多いのかも,わかった気がしました。
  摂田 寛二拝
Commented by 猫またぎ at 2012-12-18 19:39 x
摂田 寛二さん
うわ、お怪我をされましたか。
お大事になさって下さい。
あの踏切は私も何度か通ったことがあります。
踏切としては良い踏切だと思いますけどね。
私も気をつけます。

私は低い所よりも凸凹した所の方が好きですが、確かに体力は必要になりますね。
Commented by 摂田 寛二 at 2012-12-19 09:31 x
My Dearest 猫またぎさん,
 優しいお気遣い有り難うございます。
 私も大堰枠を観たくて,少し予習を始めました。
 例の『葛西筋御場絵図』には,六叉路で描かれています。ただし,北西から流入する水路は有りません。
 良く観察すると,上流水源は唯一で,北東方向の古利根川(現在の大場川,水元)から来る「東葛西領大井掘」です。それ自身を入れて,後の5本は「分水路」と考えられます。
 一番大きな分水路が「字小岩用水堀」で,その他は近隣への小用水のようです。一本には「字蓮沼落し」などと書かれています。それが,江戸時代の「設計」だったと見受けます。
 大井堀は,この後中川に沿ってどんどん南下し,先ず「東井堀」,次に「中井堀」・「西井堀」を分水します。そして,新小岩の方まで行くのですね。壮大なツアーです。
 来年になって,日照時間が十分長くなったら,私は「西井掘」を探訪しようと思います。
 上流の水元から下流水落の「逆井」まで。途中が荒川放水路や新中川に寸断された「悲劇の掘割」なので追跡が難しそうですが,何とかたどってみたいと思います(オオッと,これは門外不出の企業秘密でした)。
  摂田 寛二拝

 
Commented by 猫またぎ at 2012-12-19 18:12 x
摂田 寛二さん
ああ、そうですね。
これは新中川を越えて新小岩の方に行くんですよね。
で、最後は荒川を越えて平井に続くのですね。
「逆井」のぐねぐね道は、歩いてみてすごいなと思ったことがありますが、頭の中でつながっていませんでした。

で、摂田さんのコメントを読んで、一つ前の記事で「東井堀」と「中井堀」を間違えていたことに気がつきました。
なので訂正します。
ありがとうございました。
Commented by 摂田 寛二 at 2012-12-20 06:27 x
 葛西筋御場絵図と昭和22年航空地図と現在の地図をよくよく比較検討してみると,高砂7−2が,大井堀が東井堀を分水する地点。「毛無池」の近くですから,間違いないと思われます。
 その後大井堀は細田まで南下して,今度は中井掘と西井掘に分かれるのですが,この分水点は,現在は新中川に隠されて見えません。
 西井掘は間もなく新中川の西岸に現れるのですが,中井堀の方は新中川に吸収されてしばらく見えません。奥戸の北沼交通公園の辺りで,やっと西岸に現れるようです。
 中井掘と言うからには,大井堀の本流のはずですが,無傷では居られませんでした。
 無傷だったのは,東井堀のみということになります。
 しかし,中井堀も東井堀も,下流水落までたどるのが難しい。途中でわけが分からなくなりました。
 以上ご参考までに。
  摂田 寛二拝
Commented by 摂田 寛二 at 2012-12-22 10:25 x
 葛西筋御場絵図(1805年)は,肉筆の行書体(一部に草書体)で書かれているために,内容が判読し難いところが有ります。
 大堰枠のところに橋が架かっています。その橋の名がなかなか読めませんでした。
 しかし,他の場所を見て居て,ヒントを得,やっと意味が分かりました。
 橋の名前は「新宿関枠」でした。
 そうすると,「大堰枠」の元の名は,「大関枠」だった可能性があります。
 水をせき止める意味は全然無くて,人をせき止めるための場所だったのではないか。
 新宿から渡し場を渡って,水戸海道へ続く道があります。その辺の人の出入りを監視する役割が有ったのではないか。そう思いました。
 地名には,何らかの意味が有るはずですが,今となっては何だか良くわからなくなっていて,困ります。
 ところで,東葛西領大井堀のことを「上下之割用水」と呼んでいらっしゃいますが,出典は何ですか? 「おやじのつぶやき」のおやじさんも,そう呼んでいます。
  摂田 寛二拝
Commented by 摂田 寛二 at 2012-12-22 15:11 x
 すみません。また早とちりをしてしまいました。
 「関枠」というのは,昔の土木工学用語のようです。最初から水門の部品・構造物を意味していたようです。転じて水門そのものを意味する場合も有るそうです。
 「堰」の字が余り一般的ではないために,代字として「関」が使われたようです。
 ですから「大関枠」は,当時としては大きな構造物を用いた「大水門」だったわけで,小岩用水を分岐する時に作られたのでしょう。
 良く調べないうちにすぐに発言してしまう私の悪い癖が,また出ました。
 お騒がせして,すみません。
 「上下之割用水」の方も,葛飾区公認の名前で,説明盤にもそう書いてありますね。
 でも,その葛飾区は,何を根拠にしたのかな。出典が知りたいです。
 お元気で頑張ってください。
  摂田 寛二拝

Commented by 摂田 寛二 at 2012-12-22 16:05 x
 次の質問。
 では,新宿関枠は,どこにあったか。
 普通に考えれば,小岩用水の入り口にあったように思えますが,絵図で見ると,橋のように見えてさにあらず,まさに関枠が大井堀の方に描かれています。
 昭和初期航空写真 goo 地図でも,水門は大井堀にあるように見えます。
 貴方が,実際に見た交差点の印象はいかがでしたか。
 小岩用水の方が,太くて勢いがあるように図では見えます。こちらが本流の感じ。
 大井堀が分水してもらっているように見えてしまいます。
 その辺を実地に検分したいと思いました。
  お騒がせ男の摂田 寛二
Commented by 摂田 寛二 at 2012-12-24 08:11 x
 いや,本流はやはり大井堀ですね。絵図や写真を広く見渡せば,わかることでした。
 ところで,江戸川区本一色にある菅原橋の交差点もすごいですね。堀も絡んで面白そうです。
 絵図を見て居て一番気になったのが,中井堀から上一色で分水する「境川」。魅力的です。現代地図を見たら,途中に小松川境川親水公園があります。かなりの規模です。
 投稿写真を見ていると,川筋散歩派の私にはピッタリの感じ。
 西井掘せせらぎ公園の雰囲気がどうも私の好みではないので,来年の新緑の頃にはこちらの小松川境川の方に,見分に出かけたいと思いました。
 貴方は,こちらの方も歩いて居られますか?
  摂田 寛二拝
Commented by 摂田 寛二 at 2012-12-24 12:59 x
 大切なことを言い忘れていました。

I wish you have your Merry Christmas
and a Happy New Year with you!

On December 24, 2012
Yours Truly, Kanji Setsuda
http://KanjiSetsuda.la.coocan.jp/
Commented by 猫またぎ at 2012-12-25 09:10 x
摂田 寛二さん
ご返事が遅れまして申し訳ありません。
というか、相変わらずすごい迫力のコメントですねえ。

「上下之割用水」は、書籍「川の地図辞典」に書いてありましたよ。

小松川境川親水公園は少ししか歩いたことがありませんが、菅原橋の交差点は私好みのスポットなので、一度見学してきました。
本当にどちらに進めばいいのか分からなくなりそうな面白い交差点でしたよ。

では、私からも、健康にお気をつけて、よいお年を。
Commented by 摂田 寛二 at 2013-01-05 22:05 x
明けましておめでとうございます
 お元気ですか。最近アップが少ないようなので,心配しています。
 私の方は,怪我で休んでいる間にすっかり冬景色になってしまったので,緑の探索者としては撮りようがなく,お休みしています。春よ来いの心境です。
 でも,今日は葛飾郷土と天文の博物館に行って,私の川筋散歩案内のファイルを一式寄贈して来ました。
 では,お元気で。
Very Truly Yours, 摂田 寛二拝
Commented by 摂田 寛二 at 2013-01-05 22:08 x
追伸
 ついでに博物館で川の名前が詳しい古地図を見て来ました。明治38年『東京府南葛飾郡全図』には「西用水」と「西井掘」がちゃんと使い分けられていて,面白く思いました。
 小合溜井から「大用水」が出ています。「上下之割用水」や「大堰枠」のことは何も書いてありません。そして,東井堀を分水するところで「西用水」と「東井堀」のセットになります。そして,中井掘を分けるところで,「西井掘」と「中井掘」のセットになっていました。その後は,ずっとそのままです。
 境川のところでは,「小松川界川」。また「一之江界川」とありました。その一方で,『境川』の文字もあり,そちらの方が古い名前のようでした。
 私は,あくまで『葛西筋御場絵図』に依拠しているので,「東葛西領大井堀」の名を残したいのですが,その後いろいろ変わって,迷いますね。
Very Truly Yours, 摂田 寛二拝
Commented by 猫またぎ at 2013-01-07 09:37 x
摂田 寛二様
あけましておめでとうございます。

ご指摘の通り、最近更新頻度が少なくなってきちゃいました。
さすがに始めた時のような熱意はだんだんなくなってきますね。
しかし、歩く方は全然やる気衰えていませんので、大丈夫ですよ。

郷土と天文の博物館は、一度じっくり訪問したいと思っています。
今年もよろしくお願い致します。
Commented by 摂田 寛二 at 2013-01-12 14:10 x
猫またぎさん,
 この冬は特別に寒いのに,出歩いてレポート,御苦労様です。
 新春のアップに一安心しました。
 ところで,最近はあまり猫の写真が出て来ませんが,何か理由があるのですか。
 いつも予想外のところで出て来るのが,楽しみでした。
 たまには出してください。
 まあ,今は寒いから猫もこたつの上に居ることが多く,遭遇もまれかも知れませんが。
 では,お元気で。
  摂田 寛二拝

 
Commented by 猫またぎ at 2013-01-16 12:51 x
摂田 寛二さん
確かに今でも出歩いてますが、毛長川の訪問時期は真夏でしたよw

確かに猫写真は最近出してませんね。
検討します。
Commented by 摂田 寛二 at 2013-01-19 23:52 x
猫またぎさん,
 今日は「大関枠」に行って,実際に見分して来ました。
 冬に入って怪我をしたり,雪が降ったりして,最近運動不足気味なので,思い切って遠出をしました。カメラは持たずに散歩のつもりで,ママチャリならぬ爺々チャリで国道6号をひた走り,新宿まで行って来ました。日暮里からだと,けっこう距離がありました。
 例の7叉路を見分して来ました。水路だけで見ると,6叉路ですね。
 「堰枠=関枠=水門」は,やはり「大用水(東葛西領大井堀)」の方にありました。車止めに仕切られた三角形の立ち入り禁止区域がその痕跡です。貴方の写真にも写っています。
 路面にひび割れがあって,何となく頼りない感じがします。そのひび割れから草がはえていて,いかにも元水路と行った風情です。
 でも,とても「大関枠」とは思えないスケールです。大昔には大きかったのかなぁ。
 帰り道に「西用水」と「大井堀」の分水点も見て来ました。
 土地の人は,そんなこと我関せずと言った風情で,普通の分かれ道でしたね。
 春までに少し歩き回ってみたいと思います。
  摂田 寛二拝
Commented by 摂田 寛二 at 2013-01-20 00:11 x
追伸
 帰り道に見て来たのは,「西用水」と「東井堀」の分水点でした。
 うっかりタイプミスです。ごめんなさい。
  摂田 寛二拝
追伸の追伸
 貴方の写真に惹かれて,高砂小橋の吊り橋も見て来ました。普段はクラシック党でも,こういうモダンな橋が大好きな自分を発見しました(ハープ橋しかり)。
Commented by 猫またぎ at 2013-01-21 09:20 x
摂田 寛二さん
ぼんやりしていて「堰枠=水門」という認識をしていませんでした。
私の写真に写っていますか?!
今見てもよく分からないのですが。
何だかもう一度行ってみたくなりましたよ。

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