見沼通船堀をたどる①
2011年 10月 31日
ろっちさんのサイトでコメントしたのをご覧になった方はすでにご存じと思いますが、この見沼通船堀で年に1回行われる通水イベントを見に行こうと思って訪問したら、日を間違えていて数日前に終わっていたという間抜けなことをしてしまいました。
でも、イベントがなくても面白い場所でしたので、ご報告してみます。
訪問日:2011/8/27
で、「見沼通船堀」って何?
っていうことになると思うので、現地にあったこの案内板でご説明したいと思います。
この案内板の左右に「見沼代用水東縁」と「見沼代用水西縁」というのが見えますが、これが江戸時代から続く用水路。
読み方は、「みぬまだいようすい ひがしべり」と「みぬまだいようすい にしべり」。
そして、真ん中を南北に通っているのが「芝川」で、東西の見沼代用水の排水路として使われていたようです。
これらの水路は、江戸時代には水運としての役割も担っており、東西の見沼代用水と芝川を船で通るために、いくつもの閘門が設けられていました。
芝川と東西の見沼代用水の間には3メートルもの高低差があったために、単純につなげてしまうわけにはいかず、閘門が必要になったということです。
前置きが長くなりました。
まずは「東縁(ひがしべり)」の方から見てみましょう。
これは下流方向を見たところ。
写真の先の方の右側に見沼通船堀につながる水門があります。
これがその水門。
なぜか2つあります。
今度は見沼通船堀の方から見てみました。
東縁から水が取り込まれています。
江戸時代にはここを船が通っていたわけですが、今はこんな小さな取り入れ口があるだけです。
通船堀の先の方はこう。
すぐ先に、最初の閘門である「東縁仮締め切り」があります。
スタート地点にはこんな案内表示もありました。
この「見沼通船堀」、地元では歴史的遺産として大切にされていると感じました。
これが「東縁仮締め切り」。
通り過ぎてから振り返って見てみると、こんな感じ。
ここはどのように締め切るのか、よく分かりませんでした。
「東縁仮締め切り」の先はこう。
年に1度のイベントの時は、閘門を締め切ってここの水位がグンと上がり、そこを当時の2分の1のサイズの船で下っていくということです。
見てみたかったなあ。
来年は万難を排して見に行こうと思っていますが。
ところで、少し引き返し、「見沼代用水東縁」のところにこんな案内板がありました。
「木曽呂(きそろ)の富士塚」。
これも史跡として保存されているようです。
富士塚も大好物なので、登ってみることにします。
富士塚のふもとには、洞窟の入口のようなものがありましたが、入ることはできません。
富士塚を登る階段はこれ。
山道な感じがします。
さきほどの階段を登り切ると、さらに山道な急階段が待っていました。
手すりもなくて怖い。
登り切って下を見たところ。
最後に、さらに趣のある階段を登って頂上となります。
かなり良い雰囲気の富士塚ですね。
登り切りました。
これは富士の頂上から見た見沼通船堀。
なかなか贅沢な眺めです。
さて、登ったら降りなくてはなりません。
これは反対側にあった階段。
手すりがないので、つまづいたら命が危ない。
注意深く降ります。
入口には参詣者のための鳥居がありました。
これはくぐってから振り向いて撮ったところ。
これは「木曽呂の富士塚」の説明板。
内容略w
次回は、「見沼通船堀東縁」を芝川まで進みます。
by ankyo-nekomatagi | 2011-10-31 17:17 | その他地区の暗渠