神領堀西堀をたどる③
2012年 04月 23日
訪問日:2011/12/11
前回最後の写真の左側は、緑道になっていました。
「江北北部緑道」。
これは「ワシントンからの里帰り桜」の説明板。
これによると、この辺は「荒川の五色桜」と呼ばれた桜の名所で、明治45年に当時の東京市長尾崎行雄が3000本の桜を日米友好の証にワシントンに送ったのですが、その後本家の「荒川の五色桜」は堤防工事や公害で衰退してしまいます。その後、足立区が「荒川の五色桜」を復活させるため、「桜の里帰り」を計画し、昭和56年にポトマック公園から枝を採取してここに植えた、という話。
なかなか面白いエピソードです。
さて、この緑道沿いの歩道、ここで終わってしまいます。
緑道はさらにまっすぐ続きますが、右側には歩道はありません。
もうこのルートではないと現地では感じられました。
では、どこに行ってしまったのか。
直角に右折してこの歩道が続きと思われます。
しばらくまっすぐ行くと、
次の信号で、左方向に不自然に広い歩道が始まっています。
おそらくこのルートで間違いないのでしょう。
この広い歩道が結構延々と続きます。
途中、道の右側で見かけたニャンコ。
物怖じしません。
しばらくからかっていると、
あくびされてしまいました。
暗渠に戻ります。
さて、ここで「舎人公園(とねりこうえん)」にぶつかりました。
この公園はかなり広大な公園なので、暗渠など跡形もなくここで見失ってしまうのか、と思いましたが、
何と公園沿いにコンクリート蓋暗渠が始まっていました!
かつ、あとで資料「川の地図事典」を見ると、この位置で神領堀の「西堀」と「東堀」が分かれていたようです。
東堀の方はあまり痕跡はないのですが、若干残っています。
西堀の方は、公園沿いにまっすぐ進みます。
いやー、ここでコンクリート蓋暗渠に出会えるとは思っていませんでしたよ。
公園が終わるところで右に曲がり、
すぐに広い通りにぶつかって終わってしまいます。
あとは勘ですが、この広い通りの真ん中を通っていたのではないでしょうか。
道の右側には「足立トラックターミナル」。
前掲の「川の地図事典」によれば、明治期にはこの現在はトラックターミナルになっている敷地内を蛇行しつつ進んでいたようですが、今はもちろん跡形もありません。
ちなみに、道の左側にあったこの施設も気になりました。
「東京団地倉庫」。
建物のこちら側に全く開口部がありません。
のっぺり感がすごい。
道を進んで反対側が見えるところまで来ると、何だか「団地」っぽくなっていましたw
かつ、2つの建物をぞんざいにつなぐトラス橋が目を引きます。
かっこいい。
さて、これよりあとは、全く痕跡を見つけられなくなります。
ただ、見沼代用水からの分水地点に近いところは親水緑道として整備されていましたので、次回はそちらをご紹介します。
今回のルートです。
今回が赤、前回が青です。
by ankyo-nekomatagi | 2012-04-23 18:33 | その他東京の暗渠