江東区唯一(かも知れない)コンクリート蓋暗渠をたどる

いやー、それにしても下町の方ってコンクリート蓋暗渠が少ないですよね。
杉並区とか世田谷区、川崎市や草加市などでは無尽蔵に見られるんですが、足立区では自分の知っているのは4ヵ所、葛飾区では1ヵ所、江戸川区では1ヵ所も知りません。
で、江東区にもなさそうだなあ、と思っていたのですが、先日たまたま1つ見つけたのでご報告します。

訪問日:2012/1/28

ここは江東区北砂3-2。
写真背後の方向には、旧小名木川駅跡に作られた「アリオ北砂」があります。
左に見える歩道も水路跡のような気がしますが、そこへ左から合流してきているものが見えます。
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柵で隔てられて中には入れませんが、水路跡っぽい。
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のぞき込むと、奥の方には物置が設置されています。
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さて、右側から回り込んだここが続き。
左に見える駐車場の左方向が先ほどの場所。
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駐車場の手前まで行ってみると、この砂利道が続きのようです。
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振り返ると、ここからコンクリート蓋暗渠になっていました!
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よく見ると、目地のセメントがまだ新しい。
最近補修されたのでしょうか。
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ここは通れるので入ってみますが、裏手な感じが強いですね。
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ここは勝手に駐輪場にされている模様。
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右の一般道との間をつなぐ細道は上り坂となっています。
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さらに進むと、お決まりの隣接敷地との段差。
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ここは駐車場との段差。
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これは・・・階段じゃなくて何かの遺構に見えますが、何の遺構なのかが分かりませんw
ちなみに、反対側には何もありませんでした。
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ここでちょっと広い道を渡ります。
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道路の向こう側は、もう入れなくなっていました。
コンクリート蓋もすでに終わっています。
そして、残念ながらこのあと痕跡は全くなくなってしまいました。
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先ほどのルートを仮にまっすぐに進むと、この小名木川にぶつかったはず。
先ほどは北上するルートだったので、この小名木川から分水していたのでしょう。
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いずれにせよ、江東区では極めて貴重なこの水路跡。
消滅しないことを祈ります。

今回のルートです。



●以下、2017/3/21追加

先日、東大島にある「中川船番所資料館」に掲示されている資料で、この水路の名前が「境入堀川」または「代官堀」ということが判明しましたのでお知らせします。
「名もなき水路」かなと思っていたので、名前が判明してうれしいです。
以上、ご報告します。
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by ankyo-nekomatagi | 2012-06-11 18:32 | その他東京の暗渠 | Comments(14)  

Commented by lotus62 at 2012-06-11 19:19 x
おおーこれはまた貴重な物件ですねー!!小名木川駅跡が近いというのも余計に萌えます!
Commented by 猫またぎ at 2012-06-12 10:03 x
これは、この辺を歩こうと思って地図を見ていて発見しました。

上の地図にもある「小名木川駅前」交差点はグッと来ますね。
「○○橋」交差点がたくさん残っているみたいに、この交差点名も長く残るのでしょうね。
Commented by リバーサイド at 2012-06-13 23:19 x
先日、拙ブログにコメントいただいた物件ですね。貴重なものを見せていただき有難うございます。

小名木川でアリオで昼飯を食べて、・・・ってその近くじゃないですか。せっかく近くまで行ったのに惜しいことをしました。
Commented by 猫またぎ at 2012-06-14 19:27 x
そうですそうです。
ここのことです。

前もってお知らせしておければよかったですね。
Commented by nama at 2012-06-15 18:33 x
江東区唯一とか思うと、ありがたみが増しますねww
江戸川区はないんですか。そもそも江戸川区にあまり行っていなかったので、イメージが乏しいですが、お隣の市川にはコンクリ蓋いっぱいあったので、江戸川区にもあってもいいのになー、とか思っちゃいます。↓市川
http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/05/post-b0cb.html

といっても、杉並と中野の間にもかなりのコンクリ蓋格差があるので、お隣だから云々は言ってもしょうがないですけどね・・・。
Commented by 猫またぎ at 2012-06-15 20:00 x
行政区が変わるとがらっと変わりますよね。
足立区を歩くとほとんど川の痕跡は消されていますが、一歩毛長川を渡って草加市に入るとコンクリ蓋だらけ。
さらに隣の八潮市はコンクリ蓋が多いのみならず、開渠も無数にあったりして、別な国かと思うくらい状況が変わりますね。

namaさんのこの記事はもちろん覚えていますよ。
しかし、千葉はなかなか足が向かないですねえ。
神奈川や埼玉の方が面白いような気がしてしまって。
Commented at 2012-06-21 12:37 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by at 2015-06-26 20:46 x
3年後に当たる2015年6月にここを通ったところ、まだ蓋掛け暗渠は健在でしたので報告します。

「Goo古地図」昭和22年では、この水路から西へと2本の水路が見えます。
現在、2本とも明治通りを越した西側には自動車が通れない道があり、水路跡であったことを伺わせます。
Commented by 猫またぎ at 2015-06-29 11:16 x
ゆ さん
私もつい最近、ここを通りましたよ。
ここは当分なくなることはなさそうですね。

GoogleのSVを見てみましたが、確かに明治通りの西側にそれらしき道がありますね。
また行ってみたくなりましたよ。
Commented by 大納言 at 2017-12-11 06:35 x
初めまして。私は北砂五丁目団地に住んでいるのでこのへんは庭みたいなものです。これが江東区唯一の暗渠ですか?
さてこの暗渠、江戸明治東京重ね地図によると、境船(ママ)入川が道路になったときに西側にあった細い水路が残ったもののようです。また、江東ふるさと文庫5『古老が語る…江東区の町並みと人々の暮らし(下)』では代官堀川が道の東側にあったように書かれていますが、暗渠のことは分かりません。上野(こうづけ)堀は信用金庫の角を東に入った道で、これとは違います。稲荷通りと砂町銀座の中間を東西に通っています。
Commented by ankyo-nekomatagi at 2017-12-11 17:03
猫またぎです。

江東区もたまに歩きますが、まだほかにはコンクリート蓋暗渠は見つかっていません。

この記事の下の方(コメント欄より上)に追加情報として書きましたが、「中川船番所資料館」の掲示物によれば、このコンクリート蓋暗渠は「境入堀川(代官堀)」のようです。
また、次のサイトも、このコンクリート蓋暗渠を「代官堀」として紹介していますね。
https://www.city.koto.lg.jp/103010/bunkasports/kanko/magajin/documents/0405p_1.pdf

また、私の持ち歩いている昭文社の地図では、「こうづけ堀通り」の記載がありますので、この堀跡の場所は分かります。
しかし、痕跡はほとんど残っていないようですね。

いずれにせよ、情報ありがとうございました。
Commented by 大納言 at 2017-12-11 21:17 x
リンク先に

>代官堀だった道路の東側には、かつての水路にコンクリート板を渡した暗渠(あんきょ)が。

とありますね。代官堀は道路になったんです。暗渠はその東側ではなく西側にありますので、この部分は間違いだと思います。ただ、代官堀と暗渠は別物だというのは合っています。境入堀川か境船入川かはもう少し調べてみます。「……重ね地図」は便利ですが誤りが多いのが玉に瑕です。江戸切絵図を見ればはっきりするかと。
Commented by 猫またぎ at 2017-12-18 20:34 x
大納言さん
なるほど、代官堀ではないのですね。
太い堀と細い堀が並行して流れていたということでしょうか。

また何か分かったらよろしくお願いします。
Commented by 大納言 at 2017-12-19 00:39 x
すみません。切絵図が我が方の図書館になくて……。

江戸明治東京重ね地図の「江戸」では、この部分は両側に土手のある境船入川が一本描かれているだけですが、同「明治」と、明治24年および大正14年の陸地測量部1万分の1地図では、東から順に道路、太い川、細い川が描かれています。重ね地図が正しければ、太い川が道路になり、元の道路は家並みになったと考えられます。細い川はいわゆる悪水落としのような役割のドブだったのではないでしょうか。このドブは稲荷通りの北側で西に曲がり、明治通りを越えてかつての小名木川貨物駅のヤードの下に消えています。

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