大谷口の光と影①
2010年 09月 10日
ここには、ほんの数年前まで、東京でも有数の住宅密集地が存在しました。谷底にひしめく住宅群です。
相当に迫力のある光景だったようですが、現在はすべての建物が撤去され、道路も通り、全く痕跡はありません。
今回は、ここを2009年11月21日に訪問した時の状況をご紹介します。
まずは、ここの谷の地形陰影図から。
短いですが、くっきりとした谷。
行く前からドキドキするような地形です。
左下にちょこっと出ている部分は日大の敷地内なので入れません。
右側の谷をさかのぼっていきます。
これが現在谷底を通っている道。
先が上流方向。
かつてはこの道の上にもびっしり住宅がありました。
ここは、区の「住宅地区改良事業」に該当する場所で、この事業の最後の対象地だったそうです。
(大谷口上町55)
これが現在のグーグルストリートビューで見られるぎりぎりの場所。
上の写真よりちょっと遠い。
上の写真の左側に見える建物が、この写真では遠くの方にあります。
道路上の建物はすでに全て撤去され、一時的に植え込みのようなものが置かれているようです。
これはグーグルの航空写真。
左上から右下へ斜めに通る2本の道のうち、左が谷底の道で、右の道はもう谷の上です。
この写真はストリートビューよりも古く、道路上の家が途中までしか撤去されていません。
現地写真に戻り、左の崖の上を見たところ。
道沿いの建物は崖の途中にあり、その隣はもう崖の上です。
これは道の反対側にある児童遊園。
こちらも崖で、2階に上がれます。
これは、児童遊園1階にあったよく分からないモノ。
「この水は飲めません」とありますので、今風の「井戸」のようです。
なんか違うモノにしか見えない。
児童遊園の2階から見た対岸の風景。
年期の入った木造の住宅がイイ味を出していますが、そのほかの建物も実は相当古い。
また道に降りてきました。
こんな木の板の擁壁は見たことがありません。
そして、ちょっと分かりにくいですが、緑色のものが貼ってあるポールの間から右の方へ階段を上がって、家の前に出ることができます。
ここに入ってみると・・・
ほら、階段でしょ。
これを上ると、かつての家と家の間の道になります。
今ある家と家の隙間には、谷の上に上がるこんな階段が。
こんな変な階段も。
と思いきや。
上がっても何も起きない「トマソン階段」でした。
ここの道を奥まで行って振り返った写真。
左に見える谷底の道にはかつて密集した住宅群があり、この右側の道がメインストリートだったのかも。
この景色、なんかいい。
しかし、この風景はもう見ることはできません。
この道の突き当たりにあるお宅。
ドアも窓も板で覆われてすごいことになっています。
ドアが開けられるようにノブとインターホンの所だけ板がよけられているのがおかしい。
ここのお宅が退去した後、撤去までの措置だったのでしょうか。
今のお宅の手前には上に上がれる階段が。
上がってみましょう。
上がって、下を見たところ。
手すりのさびがすごい。
でも、階段としては味があります。
上がって右(上流方向)を見たところ。
さらにやや段差があって、階段で左に上がるようになっています。
この通り、5段しかない階段。
おっと、車止めが真ん中の段の上にありますよ。
車止めは普通は上に建てるでしょ。
変わってるなぁ。
これは、先ほど上がってきたところから左(下流方向)を見たところ。
なんか薄暗くて風情を感じます。
その先もこんな風に続き、
また谷底へ降りられる階段があります。
階段を下りたあと、今度は谷底の道を上の方までさかのぼってみました。
昔はこんなに見通しがよくなかったはずです。
さらにさかのぼってみました。
この右の道は先ほどの崖上の道につながっています。
そして、先ほど“メインストリート”と言った道が、谷底の道に並行するような位置関係で、ここまで上がってきていたようです。
写真では真ん中の植え込みになっているところ。
つまり、住宅群がすべて健在だった頃も、ここがY字路だったんですね。
この場所は、旧ふろっぐねすとさんのサイトで情報を得て、行ってみたわけですが、この時は間もなく撤去されるとは思ってもみませんでした。
その後、暗渠先輩であるnamaさんが2月12日にこの場所の訪問記を書かれており、すでにほとんどの建物が解体されてしまっていることを知りました!
もうびっくり仰天!!
私はこの地区の最後の瞬間を見届けたことになったようです。
次回は、namaさんの記事を拝見してあわてて確認に行った時の状況をご覧いただきます。
by ankyo-nekomatagi | 2010-09-10 23:04 | 石神井川系