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神領堀西堀をたどる④

「神領堀西堀」の最終回です。
訪問日:2011/12/30

神領堀最後の緑道部分は、足立区舎人5丁目と6丁目の間から始まりますが、その直前の歩道にあったこの縁石がちょっと気になりました。
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さて、この交差点から、緑道のスタートです。
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こんな感じの親水緑道が始まっています。
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この緑道の説明板がありました。
一応書いておきますと、
「御神領」について 御神領堀の名前の由来となった「御神領」とは、徳川将軍家の菩提寺である上野の東叡山寛永寺の領地の名前です。寛永寺は1万石の領地を持つ江戸時代最大級の寺院で、「神」となった将軍たちをまつる寺院です。その寛永寺の領地であることを表した名前で別に山号をとって東叡山領とも称していました。足立区内では伊興・鹿浜・加賀皿沼・堀内・沼田・高野の6ヵ村が寛永寺の領地となり神の領地という意味で「御神領」と呼ばれていました。
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これは見沼代用水近くにあった別の説明板。
光の加減で分かりにくいですが、昭和7年の地図が載せられていて便利です。
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さて、ここが分水地点。
左から右に流れているのが「見沼代用水 西縁(みぬまだいようすい にしべり)」です。
神領堀は、この位置から手前の方に分水していたようです。
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この用水の浄化をしているシステムがあるようです。
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前の写真から振り向くと、これが浄化装置。
このすぐ奥が、見沼代用水と毛長川が立体交差している場所なはずなので、見に行ってみます。
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橋が2つかかっており、右が「砂小橋(すなこばし)」、左が「舎人橋(とねりばし)」です。
「砂小橋」の方は、「じゃこばし」と振り仮名が振ってある資料もあって、どちらが正解か分かっていません。
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砂小橋を渡って反対側に来てみました。
なんだか予想とかなり違います。
写真の背後から来た見沼代用水の水は、ここですべて毛長川に落とされているように見えます。
奥を右から左に流れているのが毛長川で、見沼代用水はその手前で左に曲がり、滝のような段差を下っています。
真ん中の網のような部分から、一部の水が正面方向の見沼代用水に流れているのでしょうか。
樋のようなものは何も見えませんので、サイフォン方式で毛長川の下を通っているということになるのでしょうか。
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前の写真から振り向くと、見沼代用水がゆったりと流れてきています。
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砂小橋に戻り、見沼代用水の段差部分を撮ってみました。
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振り返ると、わずかの区間毛長川と並走したあと、合流しています。
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そして、舎人橋の下からも、毛長川にこっそり水を落としていました。
なぜこうなっているのでしょうか。
分かりません。
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さて、すべての流路をたどったわけではありませんが、一応これで神領堀西堀は終わりにしたいと思います。

次回からは、神領堀より少し東で分水していた「西新井堀」をご紹介します。

by ankyo-nekomatagi | 2012-04-26 16:39 | その他東京の暗渠  

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